退職者の回想より~退職後の私の宝物~

まなびエッセイ

昭和50年代、私は学校の先生と呼ばれる職に就き、対教師暴力や器物破損、シンナー、非行の全盛期を無我夢中、20代は子どもたちのために全力でかかわった記憶があります。


学校が荒れていた時代、子どもが勝手に休むのは当たり前でした。当時は学校嫌いを理由に年間50日以上休んだ児童生徒を「登校拒否」とよび、学校を休むとは何事かと叱責する対応が多かったように思います。その後、1998年、平成10年、文科省は社会の変化に伴い、年間30日以上休んだ児童生徒を「不登校」にすると改称し、不登校は無理に登校させなくても良い時代に移りました。

私は30代、40代、不登校の子どもが学校内に登校できる居場所の確保ができないだろうかと、不登校の子どもにかかわるたびにずっと考えていました。幸い、10年前に学校長から学校運営方針の一つとして不登校対応を任されることになり、学校に安心で安全な部屋(居場所)を確保し、小集団で交流したり、ボランティア学生や塾講師が勉強をみたりする場所を実現できました。これは学校全体の取組で50代になった私が子どもたちと共に成長した場でもありました。

不登校の子どもたちにかかわる時は、愛ある指導、諦めず、見捨てず、良き理解者となることをスタッフで話し合い、子どもたちに寄り添いました。甘やかしになる、規律が守れない大人になる等、様々な意見もありましたが、かかわった100人を超える子どもたちの多くは、教室へ戻る時、笑顔で感謝の言葉を伝えてくれました。たくさんの「ありがとう」は退職後の私の宝物です。


近年、学校教育にGIGAスクール構想、オンライン、デジタル、ITC等々、アナログ時代の私には到底想像もつかない言葉が飛び交っています。デジタル化が進めば、学校での不登校の対応も変わってくるかもしれません。このような時代だからこそ、子どもと向き合い、絆を育んでほしいと願っています。